楽寂静ノート1:研究者になる方法

 「先生、将来、研究者になるにはどうしたらいいでしょうか」。数日前に、研究室を訪問してくれた学部2年生から質問された。はじめて聞く質問ではないので、最近は驚かない。待ってましたと言っても良い。卑近な質問では「院入試のために、TOEICは何点くらい取ったらよいでしょうか」というのもある。いずれも私の学生時代には考えもしなかった愚問ではある。しかし、当代の学生さんたちには、しごく真面目で切迫した質問らしく、茶化すわけもいかないので、時の立つのも忘れて我が来し方を、あることないこと解説してやることにしている。学内の教授会や各種委員会よりも遥かに心楽しく、妻の言葉を借りれば重要な「パパの布教の時間」なのである。

 

 明確な目的があり、よい方法、手段や解決法があれば、努力次第で遅かれ早かれ目的とする山の頂に立つことは可能であると、ほとんど人は信じて疑わないであろう。われ思う、ゆえに我ありの二元論で名高い「方法序説」の中には、難問の解決法が明示されている。まず難問を細かく部分にわけて、自分にとって最も解決しやすい部分から順次解決していく。それにつれて、最初はとても歯が立たないはずの別の部分が解けるようになり、各部分に対する解答を統合することで、最初の難問が完全に解ける手筈になっている。本書は400年も前に、「真理を探究するための方法」を広く一般大衆に向けて解説したものである。当時としては画期的なベストセラーの啓蒙書だったという。事実、現代哲学や科学の基盤となっている。私も40歳代までは、デカルトの信奉者であった。

 

 私淑する道元禅師の750年前のお言葉に、真理を正しく我が身に受けるための師匠選びに関して、「文字を数うる学者をもてその導師とするに足らず。文字習学の法師の知り及ぶべきにあらず」とある。過去の業績、教科書、技術方法論、将来の夢をそらんじてばかりいる教師では、自分自身の発展もままならず、将来を任せうる弟子が育つはずはない。ある英語の本には、研究者の教育にはapprenticeshipが必須と記述されている。

 

 前述の質問に対しては、私は残念ながら解答を持ち合わせていない。言えることは、一流の研究者を表面的に目指すのではなく、今すぐ、真に一流の研究者の立場になりきって、男子一生(現代は女子一生でもよいのだ)の仕事として、人生という舞台で研究者を演じつづけるしか方法は見当たらない。おのずと解答は、質問者の脚下にあることが知られよう。学生諸君、良き師と巡り合わんことを。 

2011年3月4日