楽寂静ノート10:秋入学制度で思うこと

 桜舞い散る芝生の上で、グラスを傾けながら、研究室員に一言述べる機会が巡ってきた。昨今取り沙汰されている「秋入学制度」が実施されると、紅葉狩りとしゃれながら、歓迎コンパとなるのであろうか。けれども教授会で聞くその制度には、我が国の将来を担う若者を育てようとする意志など毛頭なく、優秀かつ勤勉な外国人学生と院生を取り込み、海外の統計会社による国際的な大学評価ポイントを上げることをひとつの目的として、旧帝大の一員という錆びた看板を引きずりながら、そのグループから仲間外れにならないように心配しているように見えるのは、私だけだろうか。私たち大学教員に必要なのは、遠い過去のむなしいプライドではなく、かの在京大学は、入試試験の難関さだけでなく、経営規模においても、立地条件においても、我ら地方大学とは比較にならない、まったく別の大学であるという現実認識である。けっして、私は、自身の所属する大学を卑下しているのではない、分を知っているのである。

 

 秋入学が中高校生や大学生の勉学意識を高めることになるかは、たいへん疑問であり、さらに有望な外国人学生や院生が、九州へ流れてくる確率はけっして高くはない。その多くが、在京の主要大学へ集中するであろうことは自明である。学生や院生の就職活動は、東京中心で行われるのである。大企業への就職を考えるのであれば、東京に在学するメリットは計り知れない。それに関しては、外国人学生は、日本人よりもさらに敏感なはずである。どうしても「秋入学」に踏み切るとしたら、大学入学後の半年を無駄にすることがないようにするためにも、小、中、高のすべてを含めた秋入学の移行が最低限必要であろう。人生は、生死事大 光陰可惜 無常迅速 時人不待、修行の継続であるのだから。

 

 高校生だったころの息子が、ある時、全国模試の結果をまとめた冊子を眺めながら、家内と和気あいあいと語り合っていた。楽しそうだったので、わきからのぞくと、大学別の偏差値表があって、理科I、II類 78、理科III類 83の評点が目に入った。すると、息子が九大生物学科 60のところを指差しながら、「パパが受験したころは、もっと難しかったのでしょう?」と、返答に窮する質問を投げ掛けてきた。「まあな~」、少なくとも、私にとっては、そう簡単ではなかった。息子の評点は?とみると、82とあった。「偏差値って、そんな高い値が出ることがあるんだね、見たことないね」と九大生の娘とふたりで感嘆しきりであった。しかし、そんなことが幾度となく続くと、そのうち息子の持って帰ってくる冊子を眺めるのに少し飽きてしまった(息子も飽きたそうである)。

 

 この数カ月は、数年間の虎の子のデータを取りまとめた原著論文を投稿し、修正原稿のために全精力を費やしている。ふとアイディアが浮かんで、早朝、起きだしては自宅のパソコンで原稿の修正をしていると、妻が「久しぶりに研究者らしいわね」と、これまた返答に窮する評価をしてくれたりする。研究室員と討論しつつ、実験のやり直しを考え、真に一流の論文(その価値が時を経ても失われることがない論文)を完成するには、いかにすべきかを「伝授」している(その実、私自身も学び続けているのではあるが)。これらの論文が受理されると、私にとっては116報の原著論文が完成したことになる。そうかといって、まったく飽きることはない。すくなくとも私の「伝授」は、携帯電話、電子メイル、スカイプやテレビ授業などを通しては不可能である。頑張る院生の仕事が、原著論文として日の目を見た暁には、「我が流派の免許皆伝」を授けよう。「伝授」は、大学の教育研究でもっとも重要なものであり、「伝授の法」を失わない限り、大学が廃れることはないであろう。

2012年4月10日