楽寂静ノート14:学位考と研究室選択

 本棚を占拠していた辞書類が、一台の電子辞書にとって代わって10年余り、今も必須アイテムとして通勤リュックのなかにある。最近、これにタブレット型コンピューターが仲間入りをした。電子メイルの送受信に加えて、高校の時分に文学史で学んだ作品からすでに絶版されたものまで、「青空文庫」からダウンロード可能である。先日、寺田寅彦の「学位について」という題目を見つけて通勤電車のなかで読ませていただいた(昭和9年「改造」)。現在では、彼を知る学生や院生は稀となったが、彼は、地球物理、気象、地震、海洋物理、応用物理など多方面を研究した一方で、夏目漱石に師事した稀代の随筆家である。

 

 本随筆から抜粋すると、「学位というものは、決してやり惜しみをするような勿体ないものでもなんでもないのであって、ただ関係学科に多少でも貢献するような仕事をなにか一つだけはした人間だという証明書をやるだけのことであって….」、「学位記というものは、いわば商売志願の若者が三年か五年の間、ある商店で実務の習練を無事に勤め上げたという考査状と同等なものに過ぎない。学者の仕事は、それに終わるのではなくて、実はそれから始まるのである。」とある。表現が少々過激ではあるが、学位は、地道なデータ収集・解析と厳しい討論とに体力的にも精神的にも耐えて、ある原著論文の筆頭著者となったことを証明する共同研究者からの免許皆伝に他ならない。将来にわたってのグローバルな能力や研究成果を保証することは、本来不可能である。資格の取得者が、本物になるかどうか判断できないのは、他の国家資格やライセンスでも同じことであろう。

 

 自然科学の進展は、個々の研究者が考えているよりも速い場合があり、数年後には、ある分野の研究の方向性が大きく変わることがある。学位取得後に、予想すらしていなかったタイプの研究や方法論を勉強するはめになる。もちろん、最初からそれらに精通しているはずもないが、必要に迫られると難なく取組めるようになり、新たな研究が次第に楽しくなってくる。「いつ始めるか?」「今でしょう!」的な乗りで新しい勉強を開始したのは良いが、実は、個人の努力のみでなしえることではなく、それまで培ったネットワークを介した研究者や多くの院生の協力により、はじめて実現できるのである。学位取得後の習練の継続こそが重要である。いつだったか、テレビのインタビューで、「なぜ、45歳過ぎても現役投手でいられるか」の質問に対し、工藤公康投手が一言、「オフに休まないことです」。ソフトバンクの選手にも聞かせたい名言である。

 

 先日、息子から研究室選択の留意点について質問があり、一筆、返答した。1)希望する研究室の教授の在任期間を確認すべし。5年未満であると、学位取得にあたって危険を伴うことが多いからである。2)当該研究室の学究派の院生の存在を知るべし。初心者が研究テーマを設定することは至難の業であり、指導者だけでなく、多くの同志との親密なコミュニケーションが必須であるからである。3)当該研究室の諸先輩たちが、研究室の人的ネットワークをいかに人生設計に生かしたかを知るべし。人生設計は、多く方からの助言を得ながら、最終的には本人が決断し、覚悟しなければならないからである。4)研究室選択の過剰な気遣いは避けるべし。研究人生は、目に見えない「縁」に大きく左右されるからである。

2013年6月14日