楽寂静ノート2:過去はなまけ者の幻だ

 堀口大學の、過去はなまけ者の幻だ/未来は馬鹿者の希望だ、という詩の一節を記憶している。その詩の全貌を知りたくて、九大図書館のウェブサイトで探した。一昨年十二月のことである。箱崎中央図書館に詩集が一冊、伊都地区の図書館に全集があるらしい。箱崎の詩集に、お目当ての詩があるかは不明であったが、土曜日のことで心のゆとりがあったこともあって、何年ぶりだろうか、箱崎中央図書館地下室の保存書庫で本探しをした。あきらめかけていた時、古びて小さくて埃まみれではあるが、金文字でみごとな革装丁の詩集を棚に見つけた。第一書房の昭和三年六月発行、六円の高価な詩集である(当時の1円は現在の4000円ほどの価値があるらしい)。

 

 詩集をめくると、幸いにも前述の一節があった。五行四連の詩で、「現在教秘儀」という題である(フォト1)。なんとユニークでしびれる題であろう。立ったまま鑑賞して本棚に返すと、手に金粉と革装丁の黒地の色が乗り移ってしまった。とてもなごり惜しかったので、また詩集を手にとって読み直した。この詩は、今日を惜しめよに始まり、三連目に例の一節が含まれ、今秒をよりよく生きよで終っている。ぜひ機会を見つけて、手にとって音読されるとよい。彼の全集は、どこの大学図書館でも所蔵しているはずである。ちなみに、当時、私の研究室で、詩人堀口大學を知る学生や院生は、恥ずかしながら皆無であった。

 

 研究者は年齢を重ねるにつれ、業績集や論文リストをまとめるのが好きになる。インパクトファクターとやらを数えるのも好きである。自慢の原著論文の引用数を見ては悦にいっている。この詩は、そんな阿呆な研究者にお灸をすえる、時空を超えた強烈なメッセージとして心に響くのだ。過去の業績にあぐらをかき、その業績で将来の安定と快楽を夢見る研究者は、なまけ者、かつ馬鹿者に過ぎない。今日は唯一の存在であり、すべての始まりであり、すべての終りだと堀口大學はうたっている。私たちが生きているのは、過去でも未来でもなく、現在の一瞬一瞬であり、過去は将来を保証してはくれないのである。

 

 道元禅師の垂示には、「今、問、時光は、をしむによりてとどまるか、をしめどもとどまざるか。又、問、時光、むなしく渡ず、人むなしく渡る。時光をいたづらに過すことなく、学道せよといふ也。是如(かくのごとく)、参同心にすべし」とある。私たちは今を惜しみ、一瞬を惜しんで勉学せねばならない。唯一の真実は、現在の一秒にのみ存在している。そして、真の研究成果(年を経ても変わらないもの)は、地道で連綿とした研究者の系譜(師匠と弟子の系譜)の中で生み出されて行く。

2011年3月8日