楽寂静ノート23:千年を超えて生きるということ

 九大勤務が30年となった。勤続の感慨やその是非はともかく、5日間の休暇が支給されるというので、3月末に家族で屋久島へ向かった。屋久杉を見たかったのである。屋久島は1,550万年前、四万十帯(付加体)に貫入した花崗岩が隆起し、浸食により険しい山地や渓谷を成しているが、火山島ではない。大学3年の夏休み、天を突くような屋久島をフェリーから眺めたことはあるが、上陸は還暦を迎えた今回が初めてである。双発プロペラ機(SAAB 340B)のエンジンが一段と高鳴り、屋久島に近づくにつれ、モッチョム岳(本富岳)、前岳、愛子岳、国割岳などの急峻な山々が沿岸部からいっきに立ち上がり、中央部に位置する九州最高峰の宮之浦岳は、海岸沿いの人里からは容易には望めないことを知った。小学生の時に読んだ「失われた世界」(A. C.ドイル著)の隔絶された高地を思い出した。空港で車を借りて、沿岸道路77号線を南へ30分ほど走ると、尾之間(おのあいだ)にあるホテルに到着した。背後には、モッチョム岳(フォト9)が標高差700mの花崗岩の南壁を晒し、敷地には温泉が湧きだしている。

 

 77号線沿いにはビューポイントがあり、「サル川ガジュマル」や「中間ガジュマル」の巨木に亜熱帯を感じ、巨大な花崗岩の一枚岩を流れ落ちる「千尋の滝」(フォト8)や「大川の滝」の豊富な水量には驚嘆する。また、78号線の「西部林道」は幅員が極端に狭く、対向車との交差は危険極まりないが、ヤクザルやヤクシカを間近に観察することができる。彼らが日本本土のものと比べて小ぶりに見えたのは、屋久島の栄養環境のためだけではなかろう。事実、ヤクザルやヤクシカは、ニホンザル(Macaca fuscata)や二ホンジカ(Cervus nippon)の亜種とされ、学名は、それぞれ M. f. yakui と C. n. yakushimae である(フォト6フォト7)。ニホンザルとヤクザルの遺伝的距離は、ニホンザルの地域変異の10倍以上はあるらしい。驚いたことに、樹齢千年を超える屋久杉は、本土のスギと同種で、その学名は Cryptomeria japonica である。一般的にスギの樹齢は長くても数百年程度であろうが、屋久杉の樹齢は桁違いに長い。その理由は、屋久島の花崗岩質の土壌は栄養分が低く、高木が生い茂る山岳地帯では日光も十分には当たらない、しかし、年輪が詰まって硬い木部が形成され、降雨量が多いため樹脂が多く分泌されることで腐りにくくなり、樹齢が延びるのだとされる。植物ゲノム特有の高い環境適応性が発揮されているのであろう。

 

 屋久杉トレッキングコースとしては、「縄文杉」、「白谷雲水峡」、そして「屋久杉ランド」の3つのコースがあって、所要時間は、それぞれ約10時間、5時間、2時間30分。体力と相談して、「白谷雲水峡」と「屋久杉ランド」を選択した。早朝、ホテルに頼んでいた弁当と新調したトレッキング装備を車に積み込んで出発、薄曇りの絶好の日和であった。77号線を北へ1時間ほど走って宮之浦小交差点から594号線へ入り、さらに30分間、狭い山岳道路の運転に緊張しながら、白谷雲水渓の登山口に到着した。トイレ休憩後、管理棟で一人300円の協力金を支払って入山、少し肌寒い。登山道はよく整備されているが、九州本土の山と比べて傾斜が急で、木の根がいたるところに張りだし、渓流が多いため水が染み出ている。林芙美子の小説には、「屋久島は月のうち、三十五日は雨というくらいでございますからね」(浮雲)とある、納得であった。20分ほど歩を進めると、「弥生杉」の満ち溢れる生命力に圧倒された(フォト20)。その樹皮は間違いなくスギではあるが、幹から出ている枝や葉はどう見てもスギではない。説明版を見ると、樹高:26.1m、胸高周囲:8.1m、樹齢:約3,000年、標高:710m、着生植物:ナナカマド・アオツリバナ・サクラツツジ・タイミンタチバナ・アブラギリ・コバンモチ・アオモジ・カクレミノ・スギとある。「千年を超えて生きるということは、こういうことなんだ」と、独り言をせずにはいられなかった。生物学における共生とは、種間の熾烈な生存競争の動的平衡で生じるものである。着生は、共生とは異なるかもしれないが、「弥生杉」は数千年間、多様な植物種と折り合いをつけながら、共生し続けてきたような気がしたのである。屋久杉の長寿命を促す大きな要因のひとつではなかろうか。

 

 その後、「二代大杉」、「三本足杉」、「三本槍杉」、「奉行杉」、「二代くぐり杉」(掲載写真)、「くぐり杉」と、個性豊かな屋久杉を見て巡った。白谷小屋あたりで小雨が降り出したので防寒着をつけ、弁当を食べて体力を取り戻した。しばらく進むと、あたり一面がみずみずしい苔と原生林に囲まれた渓谷、「苔むす森」に到着した。映画「もののけ姫」のモデルとなった場所らしい。帰りは「くぐり杉」から沢沿いの楠川歩道に入った。想定外の難所が続いたが、午後3時頃には管理棟にたどり着いた。翌日は屋久杉ランドを歩き、「千年杉」、「ひげ長老」、「蛇紋杉」、「母子杉」、「三根杉」、「仏陀杉」、「双子杉」などに出会った。「仏陀杉」の前で足を取られて転んでしまった、連日のトレッキングはオーバーワークであった。標高1,000~1,300mの高地に広がる屋久杉ランドは、名前からはテーマパークのような印象を受けるが、実際は、原生林と渓谷に囲まれた本格的なトレッキングコースとなっており、屋久島の自然と屋久杉を十分に満喫できる。

2017年8月16日